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正岡正光さんと作品

 

 

人物と作品  

 正岡正光さんは昭和43年2月11日に高知市介良で生まれた。野市には小学校から転校して来た。父親は自動車学校の教官で彼は男兄弟三人の真ん中で育った。小さい頃からお父さんの影響でバイク好きだったという。野市中学校では千光士とも同学年だった。その頃の彼は丸刈りの坊主頭で剣道少年だった。その風貌からガッツ石松に似ていると言われガッツというあだ名だった。
 その後市内の高校に通い自衛隊に入った。宇都宮市で四年間ヘリコプターの整備と修理を行っていた。それはバイク好きだった機械いじりの延長にあったようだ。そしてたまたま同じ滑走路を使用していた富士重工に転職し、そこで飛行機を作っていたと言う。それだけでも充分自分のやりたいことを実現出来ていた。
 しかし転機が訪れる。ちょうど高知に帰りたいと言う気持ちが出て来ていたところへ、何年かぶりに会社が高知での出向の話が転がり込んだ。無料で引っ越しの費用が出ると割り切って転勤、富士重工はスバル自動車でもあるのでスバル自動車に出向することになった。さらに意外なのはエンジニアを続けるわけではなく営業職に就いたことだった。本人も簡単な気持ちで引っ越しが終われば辞めてもいいくらいだった。それが本来の負けん気に火をつけて支店長になるまでになったという。そして結婚もして順風満帆な人生を送っていた。
 しかし人生はそう簡単にはいかない。仕事が忙しかったこともあるだろう、結婚して十数年が経ち離婚した。その前後から今の奥さんと知り合った。当時彼女は離婚歴があって障害者のお子さんをひとりで抱えていた。託児所の事故で障害を抱えたらしいが、そのお子さんと彼女を助けてあげたいという気持ちが募っていった。一年くらい悩んでいたらしいが、彼女の仕事を一緒にやりたいという気持ちとご縁結を結ぶ≠ニ言う事への興味が強くなり、立場もあり高収入の仕事を退職、彼女が経営する結婚相談所を一緒にやってゆくという大きな決断をした。そして二人は結婚。お子さんも生まれた。残念なことに障害を持ったお子さんは6歳で亡くなったが、今は二人目のお子さんも生まれて仕事も軌道に乗っているという。

 二十年以上を経て私が彼に再会したのは中学の同窓会だった。最初にあの人が正岡さんだとは気がつかなかった。ぼくとつで真っすぐで謙虚なスポーツマン。中学時代の彼はそういう印象だった。今の彼はおしゃれで滑らかなしゃべり方で別人のようだった。どんな仕事をしてどんな人生を送ったんだろう。率直にそんな興味を抱いた。彼のオフィスで人生を伺って本当に楽しかった。人間ってのはおもしろいもんだなと思ったし、こういう人間を描いてみたいと感じた。その後絵を描いたあと自分の仕事の手助けをしてくれたり、実際にお客さんとのやりとりなどを見ていると彼のことがよくわかった。無償の行為、人の力になることが生き甲斐の人だと思った。見返りなど考えずすぐに飛び込む姿勢に大変感銘を受けた。 
 製作は今進めている杉の木の額がぴったり彼にハマる気がしたので、イメージとしては淡いグレーで進めたいと思った。紙も木も墨も丁度のバランスで進んだ。彼の表情には人間くさい優しさとまっすぐな凛とした強さがあって、それを捉えられたと感じている。彼には魂の美しさを感じた。それが少しでも表せればうれしいと思っている。 

2013年5月17日

 

 

正岡写真



harusiori
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