西百合



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西百合さんと作品

 

 

人物と作品   西一明写真

 今回は特別に西百合さんご本人から「生いたちの記」と記した文書を頂き、そのまま掲載することにしました。千光士の思いも後半に記してあります。

 生いたちの記

 西百合は昭和25年6月14日に南国市大}(おおそね)で生まれた。母嘉代は専業農家の跡取り娘、父進は陸軍士官学校を出た飛行機乗りだった。当時は士官候補生はエリートが集まる学校だ。戦後父は、まったく農業をしたことがなく、農家に養子に来たわけだから、ずいぶん苦労したことと思う。しかしその父の経歴が嫌で、父のことはほとんど話すことがなかったように思う。幼い頃から反戦という意識が強くあったかもわからない。
 香長中学校から追手前高校へ進んだ。看護士になるのが第一希望で、小学校の教員になるのが第二希望だった。迷ったが、皆の勧めもあり高知大学教育学部に進学した。
 最初に赴任したのは早明浦ダムの下にある吉野小学校だった。毎日毎日遅くまで明日の授業のやり方の準備をしてゆくが、子どもたちの目は輝かず、楽しみにしていた学校生活ではなかった。魚取りや山菜取りの時間は、子どもたちの目も輝いた。一ヶ月したら、三ヶ月したら、一年したら教員を辞めようと同じ家に下宿していた大学の友人と話をしたものだった。けれども夢中になってやっていたら、子どもたちの言動に救われ励まされることもあった。
 赴任した学校は、吉野小学校、野市小学校、赤岡小学校、岸本小学校、香長小学校、吉川小学校、そして山田小学校で担任し、三十二年間も教員を続けたことになる。
 その間に結婚し、二男一女の母となり、仕事と家庭の両立を夫と実家の両親の援助でなんとかやってこられた。まわりの方の励ましや教員生活中に知り合ったたくさんの仲間のおかげもあった。
 五十代になると実家の父の看病、夫の両親の介護が始まり、そのうえ広大な家や土地の管理と仕事の両立は大変難しくなり、定年を待たず退職した。早期退職だったが悔いはない。
 現在は農業生活をいろいろ工夫しながらやっている。主人は除草剤派、私は草引き派、対立もあるが折り合いをつけながら、分業して野菜や果物を育てている。私はおおざっぱで主人は几帳面、性格が反対なのでケンカもするがなんとか理解もしながらやってこれたと思う。時には一緒に国内外の旅行にも行っている。

 百合さんは教師の顔をしていると思った。正義感が強く高い志を持った方だと感じた。そして同時に土に匂いも感じる。それは多くの生きた人間と接して来た痕跡のように思えた。少しでもそういう雰囲気を感じる作品になればいいと思い作ることにした。 また今回特別に額の注文があり、北米の古材を使った額を製作した。

 


2015年2月15日