岡元



画像をクリックしてください

 

 

岡元侑さんと作品

 

 

人物と作品   岡元侑写真

 アツムさんは平成2年625日に西宮市で生まれた。
 姉と兄がいて父は整備工だった。彼は中学では工作、漫画好き、陸上部で体育好きな少年だった。中学2年生位からさぼり始めて学校も週一しか登校しない、態度が悪く高校にはいけない、そんな生徒だった。授業中ずっと寝てるか窓の外ばかり観ていた。いつもぶらぶらしていて高校に行ける成績でもなく、きれいな内申書でもなかった。そんな頃遊びで彼はギターを弾いていた。それを見たお母さんのすすめで、音楽実習主体の学校に進むことになった。
 この学校は実技が主体で単位を取ってゆく大学のような高校だ。もちろん高校の卒業資格も得ることができる。資料室には様々な音楽の資料があった。ピチカートファイブやフリッパーズギターや渋谷系、YMOなどのが好きになったりツェッペリンなどのロックをむさぼるように聴きあさった。そこでギターを憶え曲作りを憶えた。歌いたい欲求は最初からあったそうだ。高校3年生くらいからバンドも始めて、20歳くらいから学校の講師だった方と二人で曲作りを始めた。10代で模索していたものが20代で本格的になってきた。そんな中講師の一人だったギタリスト荻野やすよしに誘われ、一日だけのライブセッションに参加した。そこで千光士と出会い、作品のモデルになるという出会いになった。
 彫りの深い端正な容姿と一見クールに見えるが内に秘めた情熱に何かを感じ、彼には何度かモデルになってもらった。そんなアツムくんだが、若くして自身のバンド、テラフォーミングといくつかのバンド掛け持ちし東京や様々な土地をライブで飛び回ってい精力的に活動をしている。まだ24歳の彼に今後の目標を伺った。いいものを作りたい。媚びない、自分がいいと思うものを作ることが誠意がある。彼はそう言った。
 私がレストランHERAで「最初の晩餐」という作品を発想したときモデルは女性だった。しかし彼に出会ったときに、キリストはこの男だと思った。他に誰にも出来ない替えのきかない存在だった。「晩餐」では見事にカリスマになり切った。それから何度も彼にはモデルとしてお付き合いして頂いたが、この横顔を描いた作品は素のままの24歳のアツムさんが現れている。

 作品を持った写真をどこで撮るかという話になったときに、彼は梅田の街で撮って欲しいと言った。雑然とした街中より陸橋の上で撮ることになった。彼には漂う雰囲気とさわやかさ、内に秘めた野性のようなものがある。それを改めて感じることになった。


2014年11月20日