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千光士佳子さんと作品

 

 

人物と作品   佳子写真

 千光士佳子。旧姓君嶋佳子さんは昭和48年11月25日高知県宿毛市に酪農家の長男の三女として生まれた。母親は和歌山の出身で二人が大阪で働いているときに出会った。佳子さんが0歳のときに父は高知の海で亡くなった。その後母の美千代は佳子一人を連れて大阪に出て来た。そしてお母さんはがむしゃらに働いたそうだ。母は再婚して妹も出来たがその後別れ、働いて家にいない母の代わりに彼女が10も歳の離れた妹を娘のように育てた。

 彼女は美術系の短期大学に進んだ。いろいろな就職先を模索している中で、たまたま新聞の広告で募集のあった商社を受けてみた。医療機器を外国から輸入している会社だった。そして90人の応募の中会長の一声でただ一人選ばれた。会社ではデザイン室にいたが、栄転の話が出て海外事業部への配属が決まった。英語も達者で優秀な薬学系の大学を出たものが多くいる花形の部署に異動することになったのだ。その部署には信頼の出来る上司も出来た。海外経験が長く紳士的でインテレクチャルな上司は彼女に、薬事法を専門でやればその後のどこでもやっていけると言ったそうだ。そこで薬事法を教わり、厚生省とのやりとりを日々行い次第に部下の指導にも奔走する充実した日々を過ごすことになった。そして彼女はその後化粧品の品質管理を行う大きな会社に転職する。前の上司が言ったように、薬事法のスペシャリストとしてどこでもやっていける優秀な人材になった。

 千光士誠との出会いは、彼女の妹の求めでたまたま会社のノートパソコンを持って帰って来たことから始まった。めったなことではネットも見ない彼女が、たまたま見つけたサイトが映画について語るサイトだった。当時は画像もなく文字しかない。そこで特に際立って異色だったのが千光士だった。何度かメールだけのやりとりを通じて、知らない映画をたくさん教えてもらった。そのいずれも心に残り衝撃を受けるものだった。そして一緒に映画を観る話が出た。佳子さんは大阪で千光士は東京在住だったが、二人は渋谷で初めて出会った。彼は31の男で彼女は25歳だった。千光士の猛烈な押しで付き合うことになった。それから遠距離で東京に通った。千光士の印象は姑息なことが通用しない大きな人だと思ったそうだ。遠距離で5年の時が過ぎて結婚することになった。

 千光士には関西に来てもらうことにした。二人の出発は神戸から始めた。千光士は芸術家だった。売れてはいなかったけれど、作品は本物だと思った。それから10年近く千光士の製作に付き合うことになった。何度も設営から搬入まで関わったし、意見も率直に語った。ある個展では夫婦でヌードになってそれを描いたこともある。土を使った作品では土の菌にやられて二人で高熱で寝込んだこともある。それでも千光士の作品の一番の応援者だった。彼はトラブルの多い人間だったけれど、会社や家族のもめごとでは全力で戦ってくれた。千光士は会社での出来事も相談に乗ってくれた。会ってもいない人の本質をとらえていつも答えをくれた。自分も人にきちんと向き合うことを覚えてずいぶん強くなった。人をまとめる役割を担って、辛いこと、喜び、いろいろなことを経験した。ついてきてくれる部下も出て来て、目をかけてくれる先輩や役員にも出会えた。

 私が君嶋佳子と出会ったときのことを今でも忘れない。後にも先にも顔が見えない人と出会いをしたことがない自分にとって彼女との出会いは驚きだった。遠くから見ていても彼女がまっすぐにこちらを見ているのがわかる。そんな人だった。こういう女性と出会うことは一生のうちに一度くらしかないと思った。出会ったときの彼女は痛い位純粋でまっすぐで壊れそうだと思った。それを支えるのが自分の役目だと思った。出会ったのは偶然じゃない。彼女は強く誰かを探しているのがわかったし、誰を捜したいのかもわかっていると思った。一度つかんだら他のものは一切見ない。その集中力とものごとへの潔さは自分よりもずっと強かった。しかし自分の前ではくだらないことも正直にさらけ出してくれる。難しい理屈は一切言わないがきちんとわかる言葉で理解してくれる。自分がだらしない分、足りないところはぜんぶおぎなってくれる。馬鹿なことをやっても笑って許してくれる。何度も彼女を描いたけれど、人間としての純粋さや気品と優しさ聡明さ、そして芯にある強さをこんなに感じる人はほかにはいない。結婚しても彼女に教えられることがいっぱいある。生涯ただひとりの女性と出会いたいというのは一つの夢だった。そしてそれは現実になった。

 わたしが妻の佳子を描いとことは何度もある。しかし一対一で描いたことはなかった。はじめて描くにあたり、彼女を優しく美しく描きたいと言う気持ちがあった。いままでのこの企画の作風は現代美術で使用していた方法の延長にあった。つまり紙に墨で描く方法だ。平面を意識する手法だった。しかしある時期からもっとリアルに描きたいと言う気持ちが出始めた。そしてHERAで西洋リアリズムの実践が行われ、改めて陰影のあるリアリズムを用いることになった。陰影のある表現は、こういった人間の深い物語を描くにはふさわしいものだと感じた。さらに材質の無骨さ荒さを強調しようと試みた。強くシンプルで美しいもの。何度も試作が行われたが、そのさまざまな軌跡も含めて千光士佳子にふさわしい作品ができたと思っている。


2014年11月9日