隣のおんちゃん

2016 10月4日

今晩叔父が死んだ。一対一でも描いた方だ。

今は少ない土佐の男、いごっそうだった。複雑な家庭と戦時の影響で苦労した人の一人だったが、家のことで苦労した自分に共感を抱いてか、大人になってから大事にしてもらった。うちの子供になるか、なんて言われたこともある。子供の頃はただ恐い大人だったが、大人になってから頼りになる人だと思ってきた。元気な頃は日本酒の返盃でベロベロにされるまで酔わされた。酒の強さは天下一品だった。

晩年は奥さんに先立たれたのに、足は弱くなったが一人で生活をよくしていた。頭も80超えても明晰で、さすがに教師をやっていた頭脳は衰え知らないと本当にすごいなと思ってきた。教師でありながら共産党をずっと支持し反骨の人でもあった。白髪のフサフサの髪をかきあげた仕草は、歳食ってもカッコいいオヤジだった。

この前の正月は、お孫さんが結婚して奥さんを連れてきて本当に喜んでいた。

みな、隣のおんちゃんと呼んでいた。隣、わずか一メートル横の家だった。

この前の夏に寄ったとき、帰ろうとしたらもう少しおってくれというので座り直した。けんどね、おんちゃん。もっと最後にベロベロにされるまで飲んでみたかった。ごめんね。覚悟はできてたのに涙が出てきたよ。高知のカツオを肴に今飲みゆうきね。

ありがとう。