商売

2013 4月15日

最近陶芸の土を顔料に使っている。物質感があるし色がいい。

画材屋に来て愕然とする。ある型をなぞるための道具がこんなに販売されて、そのための産業がたくさんある。あの油絵の世界が今も変わらないのは、同じ額縁、画材、材料、モチーフとマニュアルを使用し、それにまつわる産業が型が変わっては困るので固定されているからだろう。カラオケと同じ。その型を競う賞があるが、産業を補強するだけで意味がない。現代美術も同じで型の方向が違うだけだ。

そうなると美大も同じで、美術材料を売るための顧客を作る場だとも言える。あんな大金を払わされて。ギャラリーもアーチストになりたい人のための需要で出来ていて、絵を買いたい一般のお客さんの場所になっていない。なんであんな質の低いひとりよがりの似たようなアホみたいな作品ばかりと皆思うのはそういう理由だ。絵の具を消費してくれる程度の技術があればいいわけ。もっといえば疑問も持たずに使ってくれる頭が望ましい。そんなのが世界中にゴロゴロいる。そしてどこまで自覚してるか知る由もない。自覚させないトラップまである。純粋、表現の自由と言う言葉で縛り、無能であることを奨励する巧妙な罠が。

まあ現実絵を描く場としてあそこしかなかったし、人材に出会えたことが大きい。もちろんあの仕組みを有効に使う連中もいる。メリットももちろんあるが大半の現実はこんなもんだろう。