このサイトについて
画家。人を描くことを主体に活動している。インスタレーションなどのダイナミックな展示から小品まで幅広い展示方法が特徴。主にシンプルな素材で力強い作風で描き上げる。近年では様々な手法で新しい表現に挑戦を行なっている。
人と対峙して描く「1×1プロジェクト」を中心に活動。ギャラリー21+葉 ギャラリイK ギャラリー16 gallery wks.など多数で個展。神戸などを中心にライブペイント活動も行う。
2012 3月30日
まわりはワナ。タイマーズはそう歌ったっけ。
この歌、実はマリファナって歌ってる危うい代物。まあとにかくこの世はワナだらけだ。製品に直結しないものは排除される。表現なんてものは一番排除される。美術のプロなんてのは表現者のたぐいではなくて、工場の管理者のようなものだ。基礎を学ばないと、と呪いのような嘘を言って学校産業の維持に忙しい。
ピカソがよく引き合いに出されるのが、あんなに上手い基礎を学んでああいったデフォルメに至ったという神話だ。実際あんなことできるのはあの人くらいで、ケチャを踊れる奴がクラシックバレエの基礎を学ぶともとには戻れないみたいなもので、ケチャはバレエを崩したもんではない。韓国でアートフェスに行ったとき世界の抽象表現の程度の低さに驚いた。シンガポールの近代抽象画の稚拙さにも驚き、南アフリカの現代抽象画の幼稚さにも愕然とした。これらを見て精緻なデッサン力を基礎にする美術教育がデフォルメに結びつかないと判断した。経験でもわかるが頭で抽象化すると明らかに稚拙になる。アフリカンマスクの抽象表現は描いたらああなっただけだ。このことから絵画の上手い下手と言う分類が絵画の重要な部分を阻害していることに気がつく。絵画は運動の要素が強い。子供が無制限に落書きをするのは運動をしている様なわけだ。上手い下手というジャッジが入った途端に描けなくなる。絵がうまいと言うのはきれいにトレース出来る能力で、動体視力や運動能力などに関係していると思う。それが芸術的センスに繋がるわけではない。だから絵を描いてる奴の大抵が美的センスのない輩ばかりになる。そのことがばれないように理屈で補完して、ダサクて理屈くさい奴らが大量生産されるわけだ。
絵は訓練すれば誰でも上手く描ける。まさにカラオケのように。そして表現から遠ざかる。
一覧へ戻る