素材

2010 6月19日

土の扱いは難しい。

しかし日本には土壁の歴史、左官やさんの知識などその道のプロフェッショナルが多くいる。今ご相談をしているところだ。自分以上のなにかを作るには大勢の他人の力が必要だ。

現代美術の素材に対する関心は薄い。というよりない。皆似たような素材で作る。疑問すらないのがおかしい。使ってる素材でジャンル分けされているともいえる。日本画のモチーフでもないが岩絵の具使ってるから日本画とか、墨だから書道とか。様式も守ることもないのでそれは自然なことでもあるし、ジャンル分けが意味ないとも言える。実際はもっと自由に過去の歴史や他ジャンルから応用したほうが現代の美術といえる。

横軸を気にしていたがあまり意味がないと思い始めた。今の美術がつまらないし現代美術自体がマイナーだからアンチに効力がないんだな。だから縦軸を見はじめた。個人に接近すると社会は遠くなる。頭の世界が遠くなる。つまり現代美術が遠くなる。歴史を紐解くともっといろいろ素材を使用している。 14世紀当時はイタリアでも顔料は近くの土地から採取したものだろうし、油もそう、支持体の木も土地のものだ。その不自由さが個性や味になっている。現代美術は頭の美術がほとんどだ。だから容易に西洋の文脈を東洋人が真似ることが出来るが、やはり一般的な現代美術は西洋人が出発点だと感じる。ダミアンハーストの牛のホルマリンはイギリス人だからという意味は大きい。奈良は自分から出ているように感じるが、村上隆は西洋人の要請に応えただけで自分の内面から出たものには見えない。素材という意味でもどこかで輸入もとの出発点があるんだろう。もしくは同じような材料の中で生活し製作しているから地域性がでない。一回現代美術から引いてみないと見えてこないだろう。

そのことがもっと普遍的な美術に繋がる。