基地の話 1

2010 6月8日

普天間の基地がどうとか大騒ぎである。

自分にとって基地といえば東京の立川だ。あのあたりはもともと米軍基地は東京の福生からたぶん三鷹あたりまで基地があったように思う。まあ少なくとも立川まであった。福生から立川まで10キロほどあった。立川美術学院(タチビ)で浪人していた自分は立川の思い出も多い。村上龍の限りなく透明に近いブルーは福生の話だが、立川も似たようなものだった。基地跡とそれにまとわりつく色と欲の街だった。 ここが東京かあ、とへんに感心した。広大な基地跡は昭島公園になっていたし、一部は自衛隊の基地、さらに一部は廃墟のままになっていた。駅から10分くらいで廃墟だ。ちなみにタチビが駅から5分、佐々木の家が20分、後の自分のアパートも20分、ダイが作る「スタジオ食堂」も10分。立川駅を中心に俺たちは生活をしていた。佐々木の家の前はまだ畑があったし、まあ東京でも田舎だった。それをぜんぶチャリでまわっていたわけだ。

当時は大学の2年くらいだった。ダイは二浪して入ったムサビを辞めて飴屋法水とユニットを作った。佐々木はムサ短から四年に編入した。写真でメキメキと才能を発揮し始めたのだ。

俺は三年からゼミがある映像学科に入る前で、社会問題に激論を交わしたり、旅をしたり、女関係に入れ込んだりして、、、ぽーっとしていた。

(続く)