2010 5月11日

竜馬がゆくを読むと新撰組なんかいやになる。しかし実際「燃えよ剣」を読み解くとたいへん魅力がある。

青春のかたちとして最初胸をうたれたが、何度も読むとなにがどうだったか理解し始める。近藤に成りあがろうとした若造のロマンと体制に利用されて捨てられた悲哀を見ることもできる。沖田に純粋な剣客のプロフェッショナルな鋭利さと人間性のさわやかさにもうたれるし、やはり土方の軍人、組織者としての生き方、男としての生き様にもふるえることもできる。

若いころのまっすぐさってのは、世の流れと違っていようがいまいが関係なく、時に純度の高い結晶を生むことがある。いまでは竜馬や薩長が正しかったなんていってるが、当時の若者の意識としては新撰組のほうが普通の感覚だったんだろう。正しいことが明日になったら変わってた時代だ。正しいことについてゆくことが生き方なら、自分だってそうじゃない。どっちのほうに刃をふるってるかわかりゃしない。でも自分の生き方に責任をとる、まっとうするっていうのは、いいかわるいかじゃなく胸を打つ。

だからそういう生き方っていうのは、 ひとつの詩のようなものだ。

男に生まれたからには、そんな生きざまでありたい。

それが胸を打つ理由。