イワンの馬鹿

2010 1月24日

絵描きは絵を描いていないと不安なときがある。

顔の絵を描き始めて十年近くたった。たぶん一生描く。最初のころはひどいもんだった。百枚たったころやっと一枚、これだというものが出来た。その絵のことは今でも憶えている。

あれから馬鹿みたいに描いて描いて来た。気持ちがどうとか、才能がどうとか言う前に、物理的に紙の問題とか筆の問題がある。あるいは紙の大きさや筆の太さなんかだ。日本の洋画で世界的にすごい画家がいないのは道具の問題が大きいだろう。しょせん無理がある。

適切な筆の大きさ、顔料の濃度、紙やキャンバスの荒さなんかで決まる。あとはモデルを見て筆を走らせると、自然にゆく場合が多い。それからスピード。考える余地がなくなると、思いもよらぬタッチが溢れてくる。だから百枚目は考える余地があまりない段階ともいえる。最近は一枚目にいいのが多い。これもある意味考えてない。まだ緊迫してない状況だから、かえって偶然が介入する。ちょっとスポーツの瞬間に似ている。考えてギクシャクしている段階は、恋愛でも何でもスムーズとはいえない。いかに考えないか。

馬鹿になること。りんご農家のおっさんはそういった。

今日もゴミがいっぱい量産されたけど、一枚手ごたえがあった。