丘の上のあほう

2010 1月10日

若い頃、主観芸術のあいまいさがどうにもイヤで、なにか普遍的な鍵はないかと考えたことがある。23、24歳のその頃は形態に関心があった。宇宙から見た河の曲線とミクロの世界の形態の相似に芸術の線や色彩も呼応しているはずだ、と。もちろん女性器と貝や木の幹の形態の相似も同じものだろうと考えた。

の時代はそういう理由で、蜂や鉱石のコラージュなどを作っている。モチーフである河や蜂が人間へと変貌してゆくが同じ理屈だ。普遍的な何か。

そういう意味で、純粋に絵画と言う枠が好きではじめたわけではない。どちらかといえばヘタウマなんか大嫌いだったし、日展の絵とか辛気臭くて馬鹿にしていた。結局自分は絵しか描けないし、どうやらその天分を使うことがもっとも得意なことだと後々になって観念したのが正直なところだ。ふりかえると絵ばかり描いてた。

観念すると、その中で見えることも出てきた。

を描いたとき羅漢を意識した。そうでなくても関西に来て仏像に関心がわいていた。古典美術の普遍性に惹かれた。関西は日本で特に歴史をまのあたりに出来る土地だ。

で岩佐又兵衛を意識した。そのあたりから絵巻、春画への興味へと続いた。ことしの表紙のトラの絵は朝鮮の古い絵画などに影響を受けている。

司馬遼太郎が重層的に幕末や明治を描いたことと、自分の家系をたどったり、古い古典絵画に興味を持つことはリンクしている。時代や国境を越える普遍的な表現とは何か。なおかつ今の時代にそれを表現するにはどうすればいいか。自分にとってどういうことか。社会にとってどういうことか。

自分はそんなことばかり考えながら作り続けて、一生を終えるだろう。