人で大きく

2009 5月26日

随分馬鹿みたいに「集団」が「群衆」がとかいって描いて来た。2006年の6月だったっけ?CASOで描いたときは6人の集団だった。自閉した表現からの反発。そんなとこから出発した。「集団」「群像主義」「異形の集団」言い方を変えて「超、個人主義」。最小の集団で夫婦を描いた「残酷」。よくもまあこんなに馬鹿みたいに同じテーマでやり方を変えて描いたもんだ。今回何人描いたか聞かれたけど、何人だろね?描くだけで精一杯で、、。ボツにしたのも入れたら1000人くらい描いたかね。

一人で見ず知らずの土地で始めていろんな人に観てもらったことで力をもらった。シミばっかじゃ行き詰まって「無名の集団」で飛躍があった。あそこから生身になった。「超、個人主義」では観客席との関係があって、「残酷」では妻との関係が出来て、行為や動きをはじめて描いた。今回は企画から外部の力が入って、2人のアーチストの影響に神戸のそれこそ無名の人たちの取材、展示での片山さんの指示やなんか外の力が大きく加わった。賛同者にお金までもらって。そのことが予想外の力を加えることになったし、エラーも含めてふくらみを作った。一人で作ってたらどんどんしぼんでいくだろう。近代の絵画やアートって個人で作るイメージが強いけど、本当はそんなもんじゃない。他人が入ることで大きくなる。そのことが「集団」を描き始めた理由でもあったんだなあ。そんなこと思い出したよ。