寝言

2008 7月3日

人は他人によってしか確認されない。

墓は本人のためじゃなく他人の思いのためにある。それならばいっそ他人の中の自分の像をすべてにする。英雄豪傑の精神構造にはそういったものがある。自分の役割に迷いを持たないこと。それは生きてゆく中でしか作れない。ただ生まれたままなら雄や雌でしかない。男を作る、男になるとはそう言う意味だろう。生まれたままの動物なら従順か凶暴かの行為しかない。他人の中の自分の像なんぞ夢にも思わないだろう。日本人は何巡か巡ってまっさらの動物に還っている。

役を演じることに徹する。人生はそんなもんじゃないかな、と思う。男と言う役に徹する。夫や父親と言う役に徹する。革命家なら革命家であることに徹する。芸術家なら芸術家であることに徹する。途上で死のうと、人並みの生き方なぞなくても、その役に徹しきることができたときにはじめて手応えのある生き様がある。人並みの悔いや迷いなんぞは、黙って飲み干してしまえばいい。俺はそんなものをあんたに教わったよ。晋作。