若冲と経験と

2006 3月29日

せっかく関西に住んでいるし、次回の作品の取材も兼ねていろいろ歩いている。久しぶりに京都の三十三間堂にいった。あの作品も建築との関係が切り離せない。あの金色とふすまの光の関係。同じ京阪線ですぐのところに、晩年の若冲が下絵を描いて作らせた石仏があるお寺がある。あの若冲が人を作った、しかも石像なんておもしろいじゃないか。そう思って観に行った。寺の裏に広がってる山の斜面一面にそれはあった。少し小雨が降っていて誰もいなかった。ユニークな作品がところかまわず並んでいた。もともとは羅漢が見たくて偶然こういうのがあるとわかった。

脳に情報を入れないと、というけれど本当だろうか。脳に情報を入れる、見ることがそういった意味に繋がると思われがちだ。でも見ることは経験することと違う。屋根付きの美術館でリアルに再現することは出来る。でもそれはあの場所まで電車で行き、この寺はこれだけでもってんだろうなと坊主を白い目で見て、ああちくしょう坂があるじゃねえか膝が悪いのにと思い、なおかつ雨が降って来たなあ、と思って、最後には客もいないしこんなのも悪くないと思うこととは違う。体が感じるということ。脳みそを必要以上に重んじるこたないと思ってる。