芸術家より犯罪者

2006 3月21日

内側と外側のずれをなんらかの方法で補う。そのずれを修正する方法が芸術になる人たちがいる。この場合その補い方が優れていると、勘違いされて内側もすばらしい人物と思われてしまうことがある。スポーツ選手でも同じだし、犯罪者でも同じことが言える。ずれを修正するのが暴力などの場合だ。

まあそれは置いておいても、芸術家やスポーツ選手は内側と外側のずれがないと 成り立たない気もする。果たして修正することがいいことか。外側ばかりの正常な人間ばかりいることがいいことなのか。

みんな自分という存在が今の世では難しいものになっていっている。おたくが犯罪に走るのは社会との接点求めることから起因するのか。 自分というものを社会から消したい人間が匿名性で犯罪を公表する。自分の世界でこの世を埋めたいという権力性。だから彼らの精神鑑定は無意味だ。まったく自意識としては正常だからだ。内側と外側のずれが芸術家より犯罪者を多く生む世界。芸術家の三島由紀夫が、ある意味犯罪者になったのはそれを象徴していないか。