信じるということ

2005.10/11

信じるというのも難しい。

昔心理学者のユングが患者の治療を終えたとき、患者はピストルを懐から出してこう言ったらしい。信用できなかったら殺すつもりだったと。似たような話はその種の職業の人の話で聞く。あした誰々を殺すつもりだ、と治療者に言う。そしてそれを誰にも伝えずに治療者は一晩過ごす。思いあまって警察に通報すれば治療者の負けである。患者を信用しなくてはならない。患者は治療者の器を見つめている。向こうは必死なので嘘やごまかしを許せないのだ。

まあこれは極端な話だが、似たような事態は生きているとままある。わからないからといって流していると信用をなくす。わけもわからずにに褒めたりへつらえば、いっそうその不信感に拍車をかける。

親子だからといって曖昧にしているとやはり信用をなくす。縁を切れないぶんやるせないだろう。肉親でも甘えることもできず向き合わないと行けない瞬間は確かにある。親子、兄弟、夫婦、友人、信じるということがけっこうたいへんなときもある。