少年

2005 4月25日

誰だって少年の頃には大きな力にあこがれるものだ。それを克服することが成長といえるかもしれないし。少女と違って少年は安易に性に走れない。暴力しか選択できない場合が多い。オスの特性かもしれないし。

人を殺したい?そんな衝動は全然ふしぎじゃない。誰だって一度や二度は思う。でも、現実化する人間はそういない。

いつも一人の個人が異常だと決める。この世界が異常に人工化されていることを指摘しない。さらに死や性を隠そうとするだけ。ネットが悪いわけじゃない。選ぶ能力が必要なだけ。選択する能力をなくすことは「時計じかけのオレンジ」にしてしまうだけだろう。

「死」や「性」と向き合い、きちんと自分の中に取り込むことができる社会をぼくたちは作ることが出来るだろうか?