でんぽう

2005 2月14

昔、電話代払えなくてよく止まっていたとき、いきなり友達から電報が来てビビったことがある。くだらない遊びの用だったからずっこけたけど。

電報は今は結婚式と葬式くらいしか使わない。で、いつころかそんな電報の内容にもの足らなくなってきた。そう、あの型通りの決まり文句に。

祖母が死んだときから自分の言葉で送るようになった。それは彼女の波乱万丈な生き方と、それに関わった人たちにそれなりの思い入れがあったからだ。

先日東京の前の職場の同僚の結婚式があった。彼とはあまり深いことを話したわけでもないのにいつ頃からか仲が良くなっていた。向こうは8つくらい年下だったけど、お互い年を気にしないタチだから気兼ねなく喋っていた。

式には離れているうえに事情があって出られなかった。そして電報をうった。自分の言葉で思い切り気持ちを込めて送った。夕方電話があって「ほんとうに、ほんとうにうれしかった!」と言葉に詰まっていた。つられて自分も言葉に詰まった。

あんな、少しの言葉でも人の気持ちを動かすことが出来る。そう思うと電報も悪くない。