FAMILY

2005 1月

よめさんができたので、高知に帰って親せきをまわることが多くなった。おかげで自分というものが、多くの関係の中で生きているということを再認識した。結婚というものが親戚通しの付き合いになるというのは、都会ではあまり感じられることがないのかもしれない。その点うちの場合はちょっと違う。

父方の千光士(せんこうじ)という家が特別に少ない特殊な姓であるといこともあり、割に濃密なつきあいがあったが、ある一件を境に付き合いをやめた。そのかわり親戚つきあいはもっぱら母方のほうが中心になった。しかしここの家は少し複雑だ。祖母が夫の二度の死別で三回も結婚したので複雑に混じっている。もともとはホウジという土佐の名家で、源流にあたる土佐郷士の名家、安岡家に嫁いだらしい。ここの家がすごくて本家の家は県かなにかの史跡で妙な看板が立っていたりする。入り口から殿様用の門と使用人用の門に分かれていて、殿様が弓をうった射的場や、高価な陶器で作られた便座(一部盗まれたらしい)などがある。しかし家はかなりガタがきていて修復に一億くらいかかるらしい。県が一部負担するらしいがおばあさんが一人で住んでいるだけなのでいずれ取り壊されるだろう。ちなみにここの家の出に芥川作家の安岡章太郎がいたりする。彼は小説でこの家の人物も書いている。

もう一つ隣の家が上の安岡と呼ばれる家だ。おもしろいことに当時の勤王の志士をかくまった部屋がある。何ヶ月も逗留していたらしく歌を詠んでそれが今も残っている。掛け軸の裏に緊急の扉があり、ことがあれば隠し部屋に逃げることができる。ここに今も槍が置かれていて、往事をしのばせて生々しい。

まあ、いずれ千光士のルーツを探るときも来るかもしれない。

椿の咲く中庭に座ってぼんやりと思った。親戚という横のつながり、そして歴史という縦のつながりが人にはある。

自分は一人ではない。