源流

2010 1月5日

今回の帰省での一つの目的は、過去を記録してゆこうと言うことだった。自分たちの縦の系譜を探りたい。年寄りは話をしたがる、こっちはけむたい、というのが今までだったが、こちらの知りたいことを聞けばお互いに利害がある。そんなわけで自分の母がたの系譜を調べることになった。

私の祖母の父、つまりひじいさんは、母によると土佐の上士の三大名家、傍士(ほうじ)家になる。そこへ郷士の名家、安岡家から養子に来た。(安岡家に関しては安岡章太郎の流離譚を参照してほしい)祖母の秋(とき)は傍士と安岡によって生まれた。18のときにその安岡家に嫁ぐ。このあたりは現代とは違って血の問題とかどうだろうと思うがそういうことらしい。しかも上士と郷士だ。まだまだ知らないことは多い。とにかく嫁ぐが、女の子を一人生んで旦那が結核で死別。女の子はまだ2歳だったが、安岡の血を絶やさないためにおいて家を出た。この女の子は私のいう、安岡のおばちゃんで後に養子をもらう。秋さんは女優のような美女だったらしいので、24で再婚。京都からの源流がある上士の家系、土居家の彦三郎と再婚した。これが私の祖父だ。金属関係の仕事で名古屋に向かい、戦時需要でぼろもうけしたそうだ。そこで男の子と女の子を産む。この女の子が私の母、典子だ。しかしこれまたご主人が結核で死去。大金を持って女中、乳母つきで高知に帰ってきた。そこへ高知は山南の豪農の息子池上隆朗(たかろう)と出会い恋に落ちる。隆朗は共産主義者のバリバリの活動家で早稲田をレッドパージで追放され、高知で思想書を販売して本屋を営んでいた。連日党員が大暴れしていたそうだ。そんな彼は既婚者で三人の子供がいた。奥さんは結核で療養所に隔離されている。その状況での恋である。離婚もしてないのに子供も生まれてどんどんややこしくなる。(のちに再婚)そんなかんな愛憎、怨念があきらめて若干薄くなった頃に、典子は千光士孝と一緒になり千光士誠が生まれた。