ひっとらあ

2005 5月

ヒットラーは独裁者で…みたいな話はいつも疑念を持っていたからきちんと知りたいという思いは常にあった。だから児島護の「ヒットラーの戦い」は本当におもしろかった。

簡単に評するのは難しいけれど、まずドイツ、西洋文明の救世主願望というものがベースにあって呼応するような形で存在してたんだろう。彼を作る大衆がいてそのうえにあったものだということ。しかしフランスを占領するまでは目を見張る成功があって、周囲も本人も歴史を塗り変えるにたる存在だと思ってもおかしくはない。そこには具体的な戦略と強い行動力があって、周辺の国家の具体性のなさとは大きな隔たりがある。そして彼らのエネルギーの根底にあるものは崇高なものじゃなく、下品で野蛮でわかりやすいものだ

もちろん誰もが持っているたぐいの。

ソ連侵攻では早い段階でモスクワを侵略できるチャンスがあったにも関わらず、ヒットラーは迷い、混乱し、機を逸して崩れて行く。多分それが人間の限界かもしれない。

ヒットラーと僕たちの間にはそれほどの隔たりはないのだろう。彼が違ったのはどんなことでも出来る入れ物を得たこと。自分を罰する他者をなくしたこと。それは神の視点の不在。自分が神だと思えばそうなるだろう。もちろん自分を神だと思わなくても他人の話なんかじゃない。

神の力を与えられるとだれでも悪魔になるのかもしれない