ファイヤー

2005 6月20日

火を見ないね。このごろ。いろりとか、暖炉が懐かしい。小さい頃、まだ薪で火をつける風呂に入ってた。マジ?と思うかもしれないけど、高知はかなり田舎なのです。しがない地方公務員の給料じゃいいとこも住めず、安いアパートだったけわけだ。薪売りがまだいて、五右衛門風呂につかってた。丸い板のうえに座ってすずっーと落ちて行くんだよね。気を抜くとふたが浮いて熱い壁に背中がひっつく。風呂入れるのも大変だったけど楽しかった。新聞紙で種火作ってね、ぱちぱちと言う木の燃える音がなんともいえなかった。火を見てると何時間でもぼっーとできる。不思議だった。

なんでそんなこと思い出したかと言うと、USJという娯楽施設に行ったから。なんだか火をよく使っていて、そんなこと思い出した。火と水は人間の基本かもしれない。欠かせないものだけど、ときには荒れ狂い、なにもかも消してしまう。

昔、ともだちと夜の浜でたきぎをして海を見つめていたことがある。なにかすっきりと静かに海に溶けてゆくような気がした。そんな僕はいつしか大都会のアスファルトジャングルにまぎれ、火を見ると言えば焼き肉やのチリチリとした炭火くらいしかなくなっていた。たきぎを燃やす浜辺すらなく、燃やす木もどこにもなかった。

でも、どこかで、あの炎が燃え盛ってる幻影が浮かぶ。なぜだか。