坂の上の雲

2009 10月20日

ついに司馬遼太郎も「坂の上の雲」を読むことになった。同じ伊予の町から出てきた正岡子規と軍人秋山兄弟と明治の近代日本を描いている。まだ二巻と少ししか読んでないが、鋭い台詞や生き方に新鮮な発見がある。

政治的なねじれがある今日と違い、軍人にとってはっきりとした生き方を必要とする時代だ。

秋山好古は「男子は生涯一事をなせば足る」と自分に言い聞かせていた。彼の立場からは対露戦の差し迫った時代だ。

「秋山古好の生涯の意味は満州の野で史上最強の騎兵集団を破るという一点に尽きる」

この目標のために彼の生活があるといってよく、自然その生活は単純明快だった。しかし器量が狭いわけではなく、意図して自分を作り上げている。戦場では竹光で指揮し、正岡子規に尊敬する人物は誰か、と問われ「福沢諭吉」と答えている。近代合理主義の象徴のような人物だ。決して物語に酔う武士のような人間ではない。多くを語らないが背中で人に示す昔の男子の典型のような人物だ。相手の心情もよくわかってそうしている。

なんて明瞭簡潔で気持ちがいい男だ。そう思わせる魅力がある。

弟の真之はもう少し親近感がある。正岡と郷里と大学で親しく、文学を志したような時期を経て軍人になる。

しかしやはり強烈に合理的な頭脳を持っている。

「人間の頭に上下などない。要点をつかむという能力と、不要不急のものは切り捨てるという大胆さだけが問題だ」という。「従って物事ができるできぬというのは頭ではなく、性格だ」と言い切った。

まだ三巻目に入ったばかり、これからが楽しみだ。