学生運動

2011 7月28日

学生運動か、、、、。

俺が大学にいた頃、みんななんかそういうものに憧れる気分もあった。やりきれないエネルギーを正義のために投入する、もしくは正義の名の下に暴れたい。そんな感じだったろうか。朝まで生テレビもはやってたし、ロックでは反原発の機運もあった頃だ。広瀬隆がはやってたな。学生映画の集まりで法政大学なんかに行った頃に、学生自治区に赤い垂れ幕がまだ下がってた。しかし実際に学生運動なんてのはよくわからないものだった。おぼろげにナントカ派がビルを爆破したとか、まだそんなこともあった記憶がある程度だった。生き証人は誰も語らない。長い間あれは何だったろうと思っていたので、赤軍とも近かった若松孝二の「連合赤軍 あさま山荘への道程」は前から観たい映画だった。

細かいことは言いたくない。ただ稚拙でまじめで外国の思想やなにやら受け売りでかっこつけて正義を振りかざして、人間を否定しているようにしか見えなかった。自己批判?総括?党?革命?おまえらは馬鹿だ。純粋でまじめすぎる頭でっかちのガキだ。まじめであればあるほどそれは滑稽で凄惨だ。ロシアに生まれようが中国にいたとしてもその「純粋」さは別の体制にいいように利用されるだけだろう。しかし腹が立つ。しばらく腹の中にたまってなんともならなくなった。 そういう意味では捉えたんだろうか。

若松さん、あなたとは一度お会いしましたね。忘れもしない三軒茶屋SEIBUの東京学生映画祭の打ち上げです。俺も映画祭イベントの代表で造形大の映研部長、作家として参加しました。居酒屋の座敷で自重気味に、もう俺たちは客寄せパンダにならない、なんて言ってましたね。あなたは俺のことなんか覚えちゃいないだろうけど、ふとあの日のことを思い出したよ。