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2010 1月30日

佐藤忠男という映画評論家の著作で「大島渚の世界」と言う本がある。抜粋する。

大島渚はほぼ一貫して貫いているテーマがある、それは反体制である。彼はヒッピ-や学生運動などによる無秩序の騒乱ということに強く関心を向けたが、体制を脅かすようなものにはならなかった。しかしながら当面解決のめどが見当たらなくとも、彼は現代日本において人間の抑圧のありかたを相対的にとらえてゆく、という作業をやめようとしない。それは彼が何者かによって飼いならされるということを、もっとも恐ろしいこととして意識する人間だからであり、その意識の強烈さによって、彼は同時代の数は決して多くはないであろうが、いたるところにいる人間と深く結びついているのである。

われわれは自分で自分を律することの出来る人間でありたいと思う。飼いならされるということは自分が自分でなくなるということである。

結局のところ、大島渚のすべてが映画全体として語り続けていることは、人間はいかにして真の反抗者であるか、と言う問題である。このことは言い換えれば、人間はいかにして真に自由であり、主体的でありうるかという問題である。