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画家。人を描くことを主体に活動している。インスタレーションなどのダイナミックな展示から小品まで幅広い展示方法が特徴。主にシンプルな素材で力強い作風で描き上げる。近年では様々な手法で新しい表現に挑戦を行なっている。
人と対峙して描く「1×1プロジェクト」を中心に活動。ギャラリー21+葉 ギャラリイK ギャラリー16 gallery wks.など多数で個展。神戸などを中心にライブペイント活動も行う。
2010 4月1日
デザイン科だったから鉛筆デッサンが中心だったけど、ひさしぶりに木炭を使って今になってぴたっとくる事に気づいた。感情を一気に表現しやすい。筆の感覚に近い。バキバキ、ボキボキ折りまくって叩きつける。だいたい2メートル近い画面じゃないと描いた気がしない。すぐに10メートルのロールがなくなる。でかい作品ばっかやってきたからなあ~。ふう。木炭でバキバキ表現するとデジタルの操作とかイライラしてくる。ちっちゃいしなあ、最近の機械は。人間の発想もちっちゃいちっちゃい。
デッサンやクロッキーは写真発明以前、以降と違う。一般的には以前の作風を指すことが多い。写真がないから記録の要素が強くある。だから部分を克明に描いたりする。あれがスタイルと勘違いされる。以降は表現として主張するデッサンになる。構図も大胆に変わる。表現も幅が出来た。伴奏のない歌のようなもので、人間の息吹がそのまま出る。何枚描いてきたか忘れたが、直接今を表現するにはクロッキーが有効な手段だ。
写真をそのまま写す絵画が多すぎる。それって写真でいいだろ?ってのがおおい。スーパーリアリズム以降こんな風だ。写真は現実そのものと思われがちだが、あれは平面と数学的な明暗の諧調に置き換えられている。そのまま写せばさらに平板になるのは当然。しかしダビンチの作品は写真を越えている。写真のない時代に作ったのに。あるいは作ったから。顔料ももちろん違う。既製品のチューブじゃない。
彼は世界をとらえようとした。科学的に感覚的に。人間の皮膚や骨格の構造も熟知し、空気という存在すらとらえ空気遠近法も確立した。モナリザの微笑ばかり感心がゆくようだけど、あの絵では風景と人物が等価に扱われている。その思考や感覚が絹の布のような絵の具の置き方に現れている。あの独特の質感。距離。全体に気品を含んで漂う死の匂い。 知りたい、知りたい。この世のすべてが知りたい。世界はこんな風に出来ている。彼の常軌を逸した探究心の成果が絵画と言う場所だった。
だからこれからもただの絵描きには追いつけない。そしてテクノロジーが進めば進むほど、輝きを増してゆくだろう。そしてそれが絵の本質だ。
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