水戸黄門

2006 7月13日

なんでね、水戸黄門が嫌いかわかった。昔は単純にあの権力性が嫌いだった。あの印籠の威力。庶民はまさにあれに喝采をあびせるのだけど。

年配の人には、民衆はまさにああいった正義の味方を渇望してるんだよ、などと言われたが納得がいない。それなら月光仮面くらい匿名性にすりゃいいんだ。具体名が出てるのがはなはだ合点が行かない。

やっぱり被支配者なんだよね。かわいそうな民衆というやつは。善行を行ってるのをお上はきちんと見てくださる。成敗してくださる。主体が自分たちにないわけ。健全な共同体ならあの水戸黄門の行動、ジャッジが常に正解か 監視し批評すべきだし。あの紋所がカギ十字に変わる可能性は十分ある。 そういやあ宗教も占いも一緒。自分がジャッジする主体であるなんて考えもつかないんだろう。

例えば少年にこう叫んで欲しい。おじいさんのその印籠ってなんですか。おじいさんに人を裁く権利があるんですか!ねえ!! まあドラマにならないか(笑)

大体時代劇の勧善懲悪は、民衆の変わらない思想を はっきりさせてるだけだから。なんか武田鉄矢とかにも似た臭い感じるけどね。えらそうな理解者ぶって取り込んでるだけで。やり口がソフトな分したたかで醜悪だけど。で、本人に自覚がない分始末に負えないし。