煽動家

2013 1月28日

大島渚の名前は映画人として記憶された。

本質的には単にそう言う人ではない。学生運動、社会主義革命、既成概念を壊す時代の煽動家だった。映画それ自体に、煽動出来る道具と思い無茶な使い方をした。ある時代までその時代や風俗、そして人間を荒々しくフィルムに定着させて来た。 大島自身も怒っていたが誰もが怒っていた。やがてそんな時代が学生の自滅として終わりを迎えた。荒々しく生き生きとした彼の映画が静かな内省的な映画に変わった。

時代とともに自滅するか決別するか問われた。そして愛のコリーダを作った。時代に関わらず燃焼する人間を描くという目的と方法に変わった。一方テレビではタレントとして活躍する傍らドキュメンタリーもずいぶん作ったがそれも熱い対象がいなくなり途絶えた。誰もが怒る時代から一人だけ怒る時代に変わって醒めた意識もあっただろう。どこかで滑稽な様にも映ることも自覚して。しかし発進力のある場は離れない。メジャーの中の異物という位置から離れなかった。あまり時代が異なった作品は量産出来ないので大作の寡作が続いた。タレントとして遊び歩いた時代から彼の熱い時代の作品を想像することは難しい。しかし作品は残る。

激しかった時代の作品はいつかまた別の時代と重なる日が来るだろう。愛のコリーダは時代が変わるごとに性の規制が変わってゆくことを示す装置になるだろう。そして禁断の作品を作った作家として、未来永劫語られる。