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画家。人を描くことを主体に活動している。インスタレーションなどのダイナミックな展示から小品まで幅広い展示方法が特徴。主にシンプルな素材で力強い作風で描き上げる。近年では様々な手法で新しい表現に挑戦を行なっている。
人と対峙して描く「1×1プロジェクト」を中心に活動。ギャラリー21+葉 ギャラリイK ギャラリー16 gallery wks.など多数で個展。神戸などを中心にライブペイント活動も行う。
2011 8月30日
もう一人はあの三国連太郎だ。彼は軍隊がたまらなく嫌だった。人を撃つのも殺されるのも嫌だった。だから徴兵拒否し逃亡した。これは当時大罪だ。
この男は中学も中退し家出してありとあらゆる仕事をしていた。すでに中2で180センチも背があったと言う。連れ戻されては家出を繰り返すのが嫌で、13歳で密航し中国の青島でボーイをし、釜山で弁当売りしていたが飽きて帰国した。縁もゆかりもない大阪で底辺の暮らしを繰り返し、二十歳までその日暮らしだった。左がかった女と暮らしてるときに踏み込まれ、留置所で徴兵の通知を受け取る。結局甲種合格した。大阪から実家の静岡に行かず西へ向かった。行けるとこまでいこうと。そのときは逃げることしか生きる方法はないと確信していた。暮らしていた女の実家の岡山を訪ね、二人で西へ向かった。そして九州から大陸に二人だけで船で逃げようとした。最後に親兄弟への贖罪の思いから手紙を書いた。九州から中国大陸へ行くことも書き添えた。しかし母親の通報であっけなく逮捕されたと言う。母は残った家族のことを考えたのだろう。そしてそのまま部隊にぶちこまれて送られた先は、脱走で計画したルートと同じものだった。前線へ送られた部隊は千数百人だったが生きて戻れたのは二、三十人だった。
特に反戦思想があったわけじゃない。軍事教練が本当に嫌だった。こんなのは教育じゃない、いじめだと思っていました。
戦争で多少なりとも美化出来るようなことは、一度もお目にかかったことがありません。出来事も、人間もです。
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