逃げる戦争

2011 8月30日

もう一人はあの三国連太郎だ。彼は軍隊がたまらなく嫌だった。人を撃つのも殺されるのも嫌だった。だから徴兵拒否し逃亡した。これは当時大罪だ。

この男は中学も中退し家出してありとあらゆる仕事をしていた。すでに中2で180センチも背があったと言う。連れ戻されては家出を繰り返すのが嫌で、13歳で密航し中国の青島でボーイをし、釜山で弁当売りしていたが飽きて帰国した。縁もゆかりもない大阪で底辺の暮らしを繰り返し、二十歳までその日暮らしだった。左がかった女と暮らしてるときに踏み込まれ、留置所で徴兵の通知を受け取る。結局甲種合格した。大阪から実家の静岡に行かず西へ向かった。行けるとこまでいこうと。そのときは逃げることしか生きる方法はないと確信していた。暮らしていた女の実家の岡山を訪ね、二人で西へ向かった。そして九州から大陸に二人だけで船で逃げようとした。最後に親兄弟への贖罪の思いから手紙を書いた。九州から中国大陸へ行くことも書き添えた。しかし母親の通報であっけなく逮捕されたと言う。母は残った家族のことを考えたのだろう。そしてそのまま部隊にぶちこまれて送られた先は、脱走で計画したルートと同じものだった。前線へ送られた部隊は千数百人だったが生きて戻れたのは二、三十人だった。

特に反戦思想があったわけじゃない。軍事教練が本当に嫌だった。こんなのは教育じゃない、いじめだと思っていました。

戦争で多少なりとも美化出来るようなことは、一度もお目にかかったことがありません。出来事も、人間もです。