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画家。人を描くことを主体に活動している。インスタレーションなどのダイナミックな展示から小品まで幅広い展示方法が特徴。主にシンプルな素材で力強い作風で描き上げる。近年では様々な手法で新しい表現に挑戦を行なっている。
人と対峙して描く「1×1プロジェクト」を中心に活動。ギャラリー21+葉 ギャラリイK ギャラリー16 gallery wks.など多数で個展。神戸などを中心にライブペイント活動も行う。
2010 1月8日
前も書いたが、昔は家族とか一族とかのしがらみはうんざりだった。まあ距離が出来て年をくって、意味や価値を見直しているわけだ。
昔は正月と言えば、池上のじいさんのうちに親戚が集まった。遠く松山からも来て、同年代の子に会う楽しみもあったし、年寄りの話や説教にうんざりもしていた。今思えばそれも貴重になった。一族の長のような人がいなくなったからだ。集まる機会と言えば葬式くらいになった。
最近では嫁さんが旦那の実家に一緒に帰らない家が多い。それも一人や二人じゃない。旦那の親とそりが合わないのが理由らしいが、そんなもん合うわけない。親戚の集まりに出ていた意義は後になってわかった。出ない問題も後になってわかるだろう。わかりやすいとこでは、まず間違いなく子供が真似をする。説教する気はさらさらないが、いい傾向じゃない。
自分は大きなものの一つ。個人とか個性とか、一人で吠えても何の意味もない。坂本竜馬だろうが、ジョンレノンだろうが、キリストだろうが、ブルース・リーだろうが、なんだろうが同じ。空から降って沸いたわけじゃない。天才も有名人も、しょせん他人や歴史が作るものだ。
一回自分が一人で出来てないことを見直すこともいいだろ。俺もおっさんだし、ちょうどいい機会。縦と言う歴史の軸があって、家族や親戚や友人、知人と言う横の軸がある。たまたまその偶然の集合体の名前が千光士 誠ということらしい。そういうことなら、縦の軸のディティールをはっきりさせると、千光士誠という奴もなにかがはっきりしたり、意外なところが見つかるかもしれない。
まあそんな感じだ。
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