世に棲む日日

2008 8月7日

いつも死ぬことを意識してるわけじゃないけど、それなりの死生観はある。

若い頃交通事故にあった。肉の裂傷、骨折や出血で激痛に苛まれたときでも、一瞬たりとも死ぬとは思わなかった。それより再手術で全身麻酔をかけられる瞬間、死を意識した。無になってゆく恐怖が今もある。苦痛よりも無の恐怖が死を近くに感じた。

幕末の志士たちの時代にはまだあの世の意識が強い。魂があって仕事をするためにこの世に降りてくる。そういう意識を感じる。死をもいとわない行動の裏には、そんなものがある。そんな志士たちの中で高杉晋作だけが少し違う。彼の詩でこういうものがある。

「神武に起こってより二千年 億万心魂 散って煙となる 愚者英雄 ともに白骨 まことなるかな浮き世の値三銭」

現代的とも言える、リアルで虚無的な死生観が垣間見える。覚めたリアリストの視線を持ちながら、突飛で過激な死を覚悟した行動に出る。彼は死を無だと間違いなく認識している。だから浮き世の役割なぞ三銭の価値なんだろう。政府の高官も遊び人の流れ者も当価値でしかない。しかし思い切り演じきる。そして一瞬で捨て去る。死の虚無が晋作を奮い立たせ猛り狂わせる。彼の言う「おもしろい」生き方を求める。そしてその狭間にひとしずく生まれるのが、一遍の詩だ。