壊したい

2009 11月2日

鉛筆というものは日本では徳川家康が最初に使用したらしい。携帯性が重宝したことだろう。日本での量産は1887年の三菱鉛筆からだ。UNIね。世界最初の製造業者はドイツのステッドラーらしい。1662年。俺はUNI派だね。

習作の準備としていつから使われてたかは知れないけれど、作品として立ってるのは、クリムト、シーレあたりからだ。意識して鉛筆を使用しているところが大きな違いだろう。もちろん浮世絵の影響がある。日本絵画は筆の線を長い時間洗練させてきた。面の意識が基本である西洋美術では新鮮だったんだろう。クリムトは筆に近い手法だ。繊細な強弱をつける。シーレはボールペンのような線で、現代的であると同時に鉛筆の線を生かして作品を作る意識がある。

日本の絵画のおもしろいところは曾我蕭白のような描き方をするところだ。人物の生身と服と背景のタッチが違う。これは西洋のアカデミズムにはない。渡辺崋山の線と面の使い方とか現在失われた手法が多い。浅はかな教養というものがいかに表現の邪魔をしてるかがわかる。教養を身につけるなら徹底しないと。そんなことわかりきっとる!といってぶっ壊していったのがピカソ。

まったくどんどん壊したい。