2012 9月17 日

たまには毒でも吐こうか。

いや、近所の犬とか猫をみて可愛いとは思う。自分も一緒に猫と住みたいとは思う。しかし行政の殺処分ゼロを目指す運動とか、きちんと理解して言ってるのかい、と思う。この論理で行くと、犬猫は同じ数だけの人間の飼い主をあてがわないと成立しない。自然界にそんな生物はいない。成立しないのはあたりまえだ。それは異常なことだからだ。

噛まれるのは嫌だ。しかし殺すのは残酷だ。だから去勢して責任を持って飼う義務がある。それを声高に主張し押し付けるのはおかしい。しかもそれは絶対に成立しない。だから野良犬、猫は出る。で、その野良犬、猫のどこがいけないのか?それが本来の姿だろう。昔は犬は庭で番犬だった。それ以外には野良犬も多くいた。実際かまれたし、今でも犬は怖いものだとどこかで思っている。それが正常な神経だと思う。捨てられた犬や猫がかわいそうだと言うのは傲慢だ。それは人間側の一方的な理屈だ。その犬や猫は捨てられたわけではなく、ただ元の場所に戻っただけだ。だったら野良熊や野良猪なんかはどうなるんだ?あれは数が少なくて利用出来ないからだからだろうが。野良豚や野良牛がいないのは利用出来るからだろう。野良犬や猫が問題になるのは数が多くて利用価値が中途半端なだけだろう。けど他の生き物に対して残酷なのはいいも悪いもない。あたりまえのことだ。それが「自然」だからだ。結局野良犬が増えたら処分しろと絶対に言う。それも昨日殺すなと叫んだようなやつが。

こういう論理で彼らは自然そのものを管理する。ロハスだろうがなんだろうが、最も危険な部分を除いて人の都合のいいとこだけを愛でる。まあでも俺たちは矛盾のある世界に生きている。にゃんことごろごろしたいのも本音だ。真実を主張するのが必ずしも正解じゃあない。だから正義を押し付けないでくれよ。それは自然でも正しくもないんだから。