海を見ること

2005 3月28日

小学校も中学校も教室から海が見えたから、授業中でもぼんやりと見ることがよくあった。休み時間は屋上に上がって果てしない太平洋を眺めた。郷里の空はドラマチックな絵画のように姿を変えたので、自然は一つのシネマのようでもあった。

東京に出て違和感があったのは、山がなく海も見えないということだった。このことはその両方に包まれて暮らした人間とって違和感のあるものだった。変わりにビルと猥雑な人の波に囲まれて暮らした。

神戸では自宅のマンションからわずかに海が望める。少し坂を登れば閑静な住宅街の隙間から穏やかな瀬戸内海を見ることが出来る。もちろん山もある。郷里の街にいた頃、苦しいことがあれば小さな山に登り海を見ていた。海は限りなく大きく自分の小ささを実感させてくれた。ただし今回一つだけ違ってたのは、都会の生活もあたりまえのように自分の中に入り込んでいたことだったけれど。

自分が大きな自然の中で小さいと感じること、それはとても大きなことだった。いつのまにかそんな街に来ていたことは自然なことだったのかもしれない。