生きた

2013 10月16日

生きる意味が分からない奴は吉村昭のドキュメンタリー小説「漂流」を読めと言いたい。

主人公長平は四人で漂流して、ただ一人生き延びた。そこに理由などない。あきらめて自殺したひともいる。彼は聡明だし強い意志がある。それでもそこに生きる理由などなかった。ただ生きたいと言う飢えがあった。

次々とあとから人々が漂流する。時期がくれば唯一の食料である渡り鳥がいなくなる。そこで餓えないために鳥の干物を作る。飲み水がないので鳥の卵の殻に雨水を備蓄する。あるいは漆喰を開発してため池に雨水をためる。その目標のために組織的に働く。それまでただあてもなく寝ていた人々が生き生きと変貌する。

8年以上も船が見当たらないので意を決して船を造って脱出するという目標を掲げる。なんの材料もないのに、作ったこともないのに、作っても海にくだけ散るかもしれないのにやると決める。それから島に木が何年かに渡って漂着するのを待って現実に14人乗りの船が出来上がる。

ただ死なないだけなら鳥を食ってまだ何年も生きることはできただろう。しかし死ぬのを覚悟で脱出する。

それは人として本当の意味で生きたいという強い意志があったからだ。結局船の建造に足掛け4年、長平は島に12年、22歳から34歳までをその島で生きた。

その後長平は故郷土佐に帰り妻子をもうけ、60歳まで生きた。彼は本当の意味で人として生きた。