科学な芸術

2009 2月18日

ひさしぶりに制作地獄が続いている。ヒー。

まあ息抜きに話をしようか。

ダビンチ。レオナルド・ダ・ヴィンチ。言わずと知れた天才だが、天才とか神とか言う呼び名は信用しないことにしているので、芸術家のヴィンチさんについて思う。

芸術家という見方は今の見方だ。当時は絵が記録として重要な意味を持っていた。今の写真以上の価値があった。そのため権力者に重宝されたし、解剖や科学に手を染めたのはごく自然の出来事だったろう。空気遠近法やなにもかもは、自然を論理的に理解しようとしていた結果だ。この世の自然を異常な好奇心で知りたかった。その記録や思想、生き方、科学、なにもかもの結果が絵画だった。「自分の芸術を真に理解できるのは数学者だけである」という彼の言葉は意味深い。作品や芸術、絵画の意味が今とは違う。だから本当の意味でとらえきれない。彼の作品の深さの一つは、精神的なもの以上に、数学や論理、科学的なものから裏付けがあるからだろう。それは底の浅い知性などではなく、世界を知りたいと思う幼児のような好奇心から来ている。自然に対する好奇心と愛着。畏怖の念。人間も自然の造形物の一つとしてとらえている。モナリザの絵のなかの人物と背景は当価値だ。万能の天才なんて言い方はおかしい。一つのことを追求している。絵画もその要素の一つに過ぎない。芸術なんて考えて作ってない。そう言う意味で現代で彼に近い芸術家は監督のスタンリーキューブリックだと思う。空気感が酷似している。元カメラマンとしての精緻な目。真実をとらえようとする科学的なアプローチ。徹底した完璧主義。その結果の寡作。そんなところが。違うのは愛の量かな。

でもなんだかんだ言って、ヴィンチさんの作品は実際に見たらちょっと言葉にできないものがあった。ただの精神だけの芸術家には彼のようなものは作れないだろうな。