純粋

2013 2月17日

たまたまある本を読んだ。

浅間山荘事件で赤軍として立てこもった三兄弟の一人の手記だ。当時19歳。なんだろうなあ。普通の正義感の強い少年が自然にそういった極端な状況に陥ってゆくのがわかる。彼が特別だとも思えない。

思えば俺たちも若い頃そういった正義感に溢れ議論する時期もあった。学生運動なんかが、たぎる命を燃焼するのにふさわしいと思えた時期もあっただろう。俺たちの友人一人一人も社会や権威に反発する気概は強かった。しかし頼るべきよすがはなかった。あの時代はそれがたまたま左だったということなんだろう。

しかし実際に個人の自由を謳うには、なにかに頼ってはいけない。

今学生運動のようなものが再び再燃したとしても共感はしないだろう。いくらご大層な理屈を並べてもほとんどのものが反抗が目的で、結果がどうだろうがなにも考えていないし責任も取らない。それにそのナイーブなこどもの正義感はなにかに利用されるだけで、何も変えることは出来ない。それを純粋だとは決して言いたくはない。

昔から何度も友人とそういう議論を繰り返したことを忘れない。こどもの頃が純粋で大人になると汚れてゆく。そういう考えには真っ向から反対していた。

幼稚と純粋は違うぞ。何度もそう叫んでいた。