表現者

2011 1月1日

DIARYにのせた人体の作品はアイドルとかの写真から描いたもの。昔の小泉今日子とか。こう描くとキョンキョンもへちまもないけど。楽しいなあ、こういうのは。無条件に楽しい。もっと女の人描こう、うんうん。

こういう描き方したのは先日会った

くんの影響もあるかもしれない。wks.で偶然再会、再来週に個展あるらしい。この人、即興で描く。個展中に描いて行ったりする。初日は一枚もないこともある。何日かたつとギャラリーにあふれている。絵具舞踏もする。絵具をかけて浴びて絵具まみれで目も開けるし絵具も飲む。身を捨ててるのが気持ちいい。この人とは六年前かな、「戦うアート」というトーナメントのイベントで初回で対戦した。そのときは自分が勝ったが、ライブペイントやってたらどうかな。あのときの決勝で荒木とも知り合ってこの二人とはいまだにつき合いがある。まあ昨日はもう一人の絵描きさんとギャラリーの片山さんと議論になった。絵描きさんはライブで描いた作品を選んで残すべきだと言った。あの頃の若い頃の結晶はもう二度とないんだよ、とか言う。あの作品すばらしいじゃない!と言う。片山さん、いやそうじゃないと反論。自分もそうだ、という。舞踏とかその場の偶然の行為の結果であって残すと言うつもりができると違ったものになるんじゃない?画家さん、いやいやそれは絵描きとして許せない、だって一光くん絵描きでしょ?いやあ、美術家ですかね。残すんなら全部、残さないなら一切なし、欲しい人には売るでいいんじゃない?と自分。片山さん。彼のは!!ここらでどんどんテンションがあがってすごいことになった。結局画家さん以外残さないほうがいいんじゃないという結論。残す作品は別に展示作品としてあるというし。意味や価値は他人がつけりゃいいんで、本人は行為を大事にしていかないと描けなくなるでしょ。本人も絵描きとかいう呼び名にこだわりもないようだし。こういう人は絵描いたり踊ったり歌ったりしていた昔の部族のような人で、垣根がない。絵描いたりおかしなことをしている表現者なんだな。動物園に入れるのは反対だね。