食うための戦争

2011 8月30日

一人は現代を代表する俳人、金子兜太。24歳で中尉としてラバウルなどで部下二百人を従えていたらしい。中国で人を殺して日本にもいられなくなって来た奴ら。風来坊みたいな男たちが食える場所を探して南に流れて来る。ヤクザもんも多く入れ墨をした奴らのバクチも普通のことだったようだ。島にいる慰安婦がいなくなったら恐るべき勢いで男色が公然と広まった。若い男の取り合いでケンカが絶えなかった。しかしそれを見て人間と言うものはこういうもんなんだと思った。むき出しの生な姿。なんともいえず惹かれたという。

貧しい故郷の人たちがいやがって戦争したかと言えばそうじゃない、むしろ歓迎していた。戦争でこの貧しさがなんとかなるんじゃないか、少しは救われるんじゃないかと、一縷の望みをかけていた。大義とかそんなもんがあったわけじゃなく、ただ生きるため食うために南の果てまで来た連中だった。しかし爆弾で死ぬかもとはおもったかもしれないが餓えて死ぬとはまさか思わなかっただろう。虫が踏みつぶされるように、木の葉のようにひからびて。

戦争に対しては否定と肯定が混じり合う思いだったと金子氏は言う。「でもやっぱり若かったからひとつやってやろうという気分があった。いざ戦争が始まると血湧き肉踊るものが確かにあったと思う。最前線のトラック島に送られると決まったとき、どこか嬉しかった。戦争がどういうものか、死がどういうものかわかっちゃいなかったんだ」